syozopanda’s nana NIKKI.

nanaで活動しているsyozopandaの活動記録だったりするかも知れません。

1201(Today)について。

こにゃにゃちわ。僕です。

さて、11月の28日から一日置きに投稿していき、1201…つまち12月1日に終わるというnana×小説、「1201」についてあれこれ書こうかなと思ってます。

もう完結済みのものだから、あれこれ語らずにあとは野となれ〜的な精神でいるのがいいんだろうだけど、どうしても説明したくなるのが自分の良い所でも悪い所でもあるかもしれません。興味があれば、お付き合い願いたく候です。

パパーっと読める用に、まとめ記事投稿してます。nanaアプリ持ってない人も読めますよ。一万字くらいあって、なっがいけど。

nanapanda.hatenablog.com

 

テーマ

まず、今回のテーマは「今日」というものでした。

"今日というある一日"にスポットを当て、浮き出させる。

小説内の「12/1(金)」という日付に現実が追いついて行って、追い越した次の日に歌が入ればいいなぁ、みたいなイメージを持っていました。

だからこれ、リアルタイムで読むことを想定されてますよねw後から読んだらその面白さは半減しちゃうかも。まぁいいか。

 

描きたかったのは、ほんとなんていうか、どうでもいい日常で。

これ、28日火曜日の朝にね、車運転してたら反対車線側にごみ捨てをしてる主婦の方が見えて。そこから「ああ、みんなそれぞれの朝があるんだよねぇ」と思った事から着想を得てまして。

今回は全四編で終わりましたけど、書き終えてみると、もっと色んな一日を書いてみたかったなぁと思ったりもしました。十編くらいとか。

 

ごくごく当たり前のことなんだけど、みんなそれぞれに日常があって。で、それを描くにはドラマチックなことなんて別に起きなくていいし、重要な伏線も無くていい。

その人がそれまでに築いて来た人生のあるたった一日を描こう、と。そしたら否が応でも「今日」というテーマが見えてくるんじゃないかなぁと思ったわけです。

 

そしてその「今日」というテーマで伝えたかった箇所は、④の後半に出てくる

きっとそれぞれにそれぞれの日常があって、毎日を終えてゆく。
昨日に後悔しながら、明日に期待しながら、そして今日に絶望しながら。

それでも、寝て起きると既に新しい一日が始まっていて、世界はまるで決められているかのようにその一日を進めている。
乗り遅れないよう、取り残されないよう、必死で掴む日常を、我々は怖くて手放せないのだ。

という部分かなぁと。

繰り返しの日常をどう過ごすかは「今日」の自分が決めるしか無くて。

「でも」とか「だって」とか「いやいや」とか言い出せばキリが無いけど、やっぱりいつかはそこを乗り越えないといけないんですよね…。

でもそれは自分ひとりじゃないというか。みんなそんな部分あるというか。

だから

どこの誰かも知らない人の、今その日常が酷く苦しくて息がうまく出来ないようなものだったとしても、いつかそれが緩んで解けますように。そんな「今日」がいつか訪れますように。

という部分は、僕なりの応援メッセージなんですよねw普通に「頑張れ」って言えない。でも言いたい。みたいなね。

 

ではここからは編毎に思う所を書いていこうかな。

先述した、あのゴミを捨ててた主婦の方から、想像を広げていきました。ちなみにその主婦の方は全然知らない人ですw

生ぬるいお湯に使っているみたいな日常。不満はない、むしろ順風満帆なのに、不意に訪れる漠然とした不安。このままでいいの?っていうモヤモヤ感。

たまにこういうのに苛まれて上手く寝付けなかったり、体調壊したりしちゃう時があります。なんなんでしょうね。バイオリズムというやつなのでしょうか。

そんな、上手く説明できない感じを文字に出来たらなぁというつもりでしたね。

個人的に、この話が1番気に入ってます。作中出て来る金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」は、「小学校3年生って何を習うんだろう…?」と思って、実際に調べましたw

しかもこの12月頃に習うのはどれだろう〜みたいなねw地味に手が込んでますw

一瞬だけ出てくる「奈美」という生徒は、①で出てくる子だったりします。リンクさせることに深い意味は無いけど、読んでて気付く人は気付くし、そうじゃなくても別に良いし、という遊び心です。

授業の内容は、「自分だったらどうするかなぁ」と考えてああしました。子供たちの反応はやはり想像の域を出ないので描写としてやや陳腐かもしれませんね…。現実の子供らはあんなに素直じゃない気がする…w

これを書いてる時、結構辛かったですね。内容が暗くて。

主人公の女性の年齢は、あえてぼやかしました。というか、描くタイミングが無かったwま、おそらく中年かと。

今年の九月に姪っ子が産まれてから、僕の中で「こども」のイメージが変わりました。

子供、あかちゃんなんてうるさくてしんどい、無理…近づかないで…って思っていたし、とにかく子供が嫌いで仕方なかった。姪っ子はそのイメージをぶち壊してくれましたね…。この子が今後どんどん成長して行くのをみたい。おじいちゃんおばあちゃんになっていく両親を見たい、ママになっていく姉を見たい…みたいな。

子供が授かりものだというのは事実だと思う。当たり前に産まれて育っていくものだと思っていたけれど、違う。彼らは産まれたその時点で世界から祝福されているのだ。子供のいない私が言うのも説得力がないが、子供がいない私だからこそ言えることがある。
子供は、奇跡だ。

読み返すとちょっと恥ずかしい。けど、実際そうだよなぁ。

あ、これも②からのリンクがありますね。②の小学校に届けられた給食は、③で出てくる場所で作られています。

どういう物語にしようかなぁと考えながら書き始めて、後半いい感じにアクセルを踏めた話でした。別の話も2パターンくらい書いてたのだけど、これが1番想像を広げやすかったです。ただ、①②③と比べると、「まとめに入らなきゃ!」っていう意識が強かったですね。

まとめ①

なるべくそれぞれの編で違う人格を表せたらいいなぁと思っていたのだけど、出来上がると、やはりどれも僕だなぁって思いました。小説ってそういうものなのかなぁと思いつつ、もっと多彩に書いてもみたかったですね。今後の課題かも知れません。

ありがたいことにコメントで沢山お褒めの言葉を頂いたのだけど、個人的にはとても拙いと思っていて。文章を作るのは簡単ではないなぁと痛感しています。いつもだけど。

でも前に別の短編を上げた時に「しょーぞーさんは作詞家だなって思いました」ってコメントを頂いて「ああ、そうだなぁ」と腑に落ちた感覚があったというか。

拙い文章の、そのほんのワンセンテンスでも詩的に書けたら良いと思うし、またどこかでそれを狙ってもいるので…。だから全体的な文章力の向上を蔑ろにするわけじゃないけど、自分の強みというかそういう所を伸ばせていけたらいいなと思いました!(なんの報告だろう)

 

音楽面。

この連投小説のパターンとして、最初はエフェクト「テレフォン」を使うという謎の決まり事がありますね。別に無くてもいいんだけど、これはもう、恒例行事というか。

サビの部分でリズムパターンが変わります。それまで4拍子だったものが…どう言えばいいのだろう。8分の12音符(12/8)というか…。1小節に3連符が4つあるリズムパターンですね。こういうリズムパターンをなんと言えばいいのか分からない…wに、変わっています。珍しいことではないのだけど、いざ自分がやってみると難しかったですね。特にピアノの演奏がw三連符を綺麗なリズムで鳴らし続けるのって難しいんです。鳴らし続けるってのが。

実は今、この曲をきちんとした形に残したいなと思っててレコーディングしているのですけど、なかなか大変でしたw完成まではもちっと時間かかりそうですけど、お楽しみにして頂けると嬉しく思います。

 

まとめ②

総合して、やりながらとても楽しかったです!ただ、いつもその日その時に思いついた言葉を紡いでるだけなので、満足に校正出来てないのが反省点ですね。出来上がったらすぐ誰かに見せたくなるのだけど、最終チェックって大事ですよねやっぱw

 

そんな感じで。

以上、1201(Today)の解説記事でした!質問とかあったらTwitterとかでも随時受け付けてますので、どうぞお気軽に〜!

読んでくださり、ありがとうございました〜!