syozopanda’s nana NIKKI.

nanaで活動しているsyozopandaの活動記録だったりするかも知れません。

1201(Today)【まとめ】

Ⅰ 

12月1日(金)
6:30 起床
ノリさんはまだぐーすかと寝ていたのでやんわりと起こす。
歯磨きと、トイレを済ます。洗顔は後回しにして、充血した目の為に目薬だけ点眼する。
ノリさんにもう一度声をかける。しばらく「うううう~~」と低く唸っていたが、やがて諦めたのかトイレへ向かう音が聞こえた。
リビングのカーテンを開けると、登り始めた太陽の光が間髪をいれず差し込む。陽の光が入ると、空気中に舞う塵が見えた。あんなに静かだった室内が一気に賑やかしくなった気がする。

低い音量で点けたテレビの右上に表示された時刻が7時を回った頃、奈美の部屋に行き、声をかける。奈美もまた「うううう~~」と低く唸っていた。こっそり笑う。

昨晩から用意していた料理を温め直したり、お弁当に詰めたりする。
朝ごはんは、昨晩の残りであるカレーだった。朝からカレーかよ、と昨日みんなで笑い合ったけれど、この匂いは朝嗅いでもいいものだなぁと思った。カレーの匂いは人の空腹感に火をつける魔法がかかっているみたいだ。
大きなあくびをしながら、洗顔やひげ剃りを終えたノリさんがリビングにやってくる。うむ、凛々しい。
お弁当の具は、冷凍食品のハンバーグ(ニチレイのもの。美味しい。)と昨日寝る前に作っておいたきんぴらごぼうとほうれん草のおひたし。そして、たまごやき。たまごやきはいつもその朝に作る。そんなに時間がかかる料理では無いし、なんでもかんでも前日に用意してしまうと、正直少し時間を持て余してしまうのだ。そして私は、たまごやきを焼いている時間が好きなのだ。
その間に着替えを終えたノリさんが食卓に付き、用意してあるカレーを頬張りだす。起きた奈美がトテトテと歩きトイレに行き、朝の支度を始める(最近になってようやくひとりで準備できるようになった)。
家族の存在を感じられる、やわらかな時間。時にはその存在がとても邪魔に思えたりもするけど、今日はそうじゃなく、なんとなく幸福感に包まれていた。

7時半になるとまずノリさんが(今日もお弁当を忘れそうになった)、それから15分ほどしてから奈美が外へと出発する。
奈美が外に出るのと同じタイミングで私も出、両手にゴミ袋を持ってアパートの階段を奈美と一緒に下る。
「ひとつ持つよ~」と言う奈美を笑顔で制す。奈美は来年の春から4年生になる。なんの影響か、近頃家事を手伝おうとやたら声をかけてくる。でも、奈美のチカラではきっとまだこのゴミ袋は運べない。
だけどきっとすぐにひょひょいと抱えて「ゴミ出しとくから」なんて言ってくれる日が必ず来るのだろう。
子供の成長は本当に早い。ほんの少し目を離してるスキに、あっという間に、だ。
私は、その成長を見ていたい。可能な限り、一日でも長く。
病に冒されているわけでも、変に陰に籠ってるわけでも無いけれど、「死にたくないなぁ」とよく考える。
私はきっと、幸せなのだろう。

だけど、幸せを感じるといつも不安になる。
この幸せはいつか音を立てて崩れ落ちるのでは無いかとか、誰かに「馬鹿じゃねーの」と罵られるのでは無いかとか、漠然とした不安に駆られるのだ。
それを否定する事は出来ない。極端な話、明日世界は崩壊してしまうかもしれない。いや、もっと早く。他国からミサイルが打ち込まれてしまうのが私が住むこの街かも知れない。奈美が通う学校かも知れない。ノリさんが務める職場かも知れない。

そんなことを考えながら淡々と家事をこなして、気づいた時にはお昼を大きく過ぎていた。あまり食欲を感じなかったので戸棚にある買い置きのパンをひとつだけ食べ、夕飯の買い出しへと出かけることにした。
風はあまりなく、12月の頭にしては温かい気候だった。
外へ出ると先刻まで考えていた漠然とした不安は影を潜めてくれ、土曜日という曜日らしい少し浮ついて感じる街並みを歩いた。道端にはいくつかのキレイな花が咲いていたけれど、花に詳しくない私は「キレイだなぁ」と思うことしか出来なかった。

歩いて五分くらいの場所にあるスーパーマーケットで買物を終え、来た時と同じ道を歩いて帰宅し、すぐに夕飯の準備に取り掛かる。今夜はチキンカツにした。サクサクっという歯ごたえを感じたかったのだ。噛んでいるという感覚。モノを食べているという感覚を。
やはり、私の中にはまだ”きちんと晴れていない何か”があるのだろうと思った。

ただ漠然とした不安を抱えたまま、それに気づかないふりをしながら、夕飯後の団欒を終え眠りにつく。
寝る前にノリさんが私の太ももあたりを触って来たけれど、優しく諌めた。決して嫌悪感は出さず、たまたま今日はそういう気分じゃない、というニュアンスを出すのが難しかったけれど、分かってもらえた。
こんな思いを抱いたままそうなっても、私はきっと何も感じることが出来ないだろうと思ったからだ。

どうしたらこの気分は晴れるのだろう。どうしたらこの気分は晴れるのだろう。どうしたらこの気分は晴れるのだろう。

なんども頭の中でそう繰り返していく内にやがて訪れた微睡みの波に任されるまま、その中へ誘われていった。

23:47 就寝

 

十二月一日 金曜日

午前六時、起床。
そのまま十分ほど目を閉じたまま、寝たまんまで出来るストレッチを行う。そうすると脳が覚醒しやすい、と何かで読んだからだ。
大きな深呼吸をしてから意を決してベッドから起き上がる。この時期のベッドの中はなんて心地が良いのだろう。出来ることならば許される限りそこに居たいが、働き、賃金を得ないと生活をしてはいけない。このジレンマと毎朝戦っている。今のところは全戦全勝だが、いつか負ける日が来るかもしれない。もっと冷えた朝が来たら。もっと身体がしんどい時期が来たら。

朝の支度と朝食を摂り終える頃に時計は6時半を刺していた。出発の時間まであと30分余裕がある。いつも通りだ。私はこの30分を読書に充てる事にしている。学生の頃、朝の10分間読書というものがあった。ホームルーム前の10分間だけ、全校生徒、全教師が読書をするという時間である。
私はその時間がたまらなく好きだった。友達の中には漫画を持ち込んで「漫画も読書だから!」と豪語し、すぐに怒られているヤツもいたけれど、どうしてわざわざ怒られるために漫画なんて持ってきちゃうんだろう。小説だってじゅうぶん面白いのに、とよく思ったものだ。中学生の頃の話である。
その頃のクセが残って、朝の読書時間は私にとってかけがえのない時間となっていった。

一流アスリートには”スイッチ”があるのだという。
それは試合の日の朝、玄関を出る時に傍らに置いてあるぬいぐるみを撫でることだったり、大事な場面で胸をぽんぽんぽんと拳で叩くことだったりするらしい。
所謂ルーティンワークと言うものだろう。あるいはジンクスか。
彼らなりのスイッチを自らの手でオンにし、いい結果を残す。その行為自体には深い意味がなくても、それが結果に繋がるのならば意味は後から付いてくる。
なんてかっこいいのだろう、と思った。同時に、これは一流アスリートに限った話では無いのではないかと私は考えた。一流じゃなくても、その人が出せる好成績というのは、ある。
それはアスリート程華々しい結果では無く、日常の片隅にすぐに捨てられてしまうようなことなのかもしれない。でも、必ずある。

私は教員になった。
そして、この朝の読書時間中、パッと時計を見た時にきっちり30分の瞬間がある。
おおよその場合は巻いたり押したしてしまうのだけど、ばっちり7時を刺している時が稀にあるのだ。その日の私の授業は凄い。
国語を教えているのだが、自分でも驚くほど分かりやすい語句、文章を作って生徒に届ける事が出来るのだ。生徒に至っても、いつもは眠そうな顔をしている生徒でさえ目を爛々と輝かせ、授業を受けている。他に説明出来るものがない。間違いなくこれが私のルーティンワークなのだ。日常の片隅に捨てられてしまうような事でも。

そして今日、ふと時計を見ると針はばっちり7時を刺していた。おお、と心のなかで感嘆しながら足早に玄関に向かう。今日はきっと良い授業が出来るはずだ。

五時間目。
五時間目というのは、給食と昼休みを終えた生徒にとっては「きっちー」「だっりー」「ねっみー」な時間帯である。彼らの言葉を借りるならば。

私が受け持っているのは小学校3年生のクラスである。まだまだ子供らしさは残しつつも、小狡い考えを露わにする生徒が出て来る頃である。どの学年も難しいが、私個人的にはこの学年が1番気を使う。
今日の授業は金子みすゞが著した「わたしと小鳥と鈴と」である。非常にシンプルな五段組の詩だが、一切の無駄がない素晴らしい作品である。この詩は如何様にも解釈することが出来る。私という個と他という個の違いを認めて讃えること。その素晴らしさを説いているからだ。友情にも例えられるし、視野を大きくすれば国家間、宗教間にも発展させる事が出来る。
ラストの「みんな違ってみんないい」という一節をどれだけ生徒に響かせるかが重要だろう。

授業が始まる。
生徒たちはやはり「きっちー」「だっりー」「ねっみー」という顔をしていた。そこで開口一番彼らにこう聞いた。
「もう授業やめよっか!先生もしんどいわ。眠いし!なんか好きなアニメの話しようぜ!」
そう言うと生徒たちの顔が急に輝き出した。友達同士で顔を合わせ、ニコニコとしている。
「先生もさ、アニメすっげぇ好きで、今でも見てるんだけど…先生はやっぱりさ、ドラゴンボールの悟空が好きなんだよ」
そう言うと「えー!先生悟空なのー?!」「NARUTOはー?」「先生プリキュアも見ますかー?!」などの質問が飛び交い、教室内は騒然となった。
そしてすぐに「やっぱルフィが最強っしょ!」と言う生徒が居たり、「でもルフィなんて所詮海賊じゃん。」と否定する生徒が出てきたり、「てかアニメのキャラよりMARVELのキャラが最強だから」とか言い出す生徒も出てきた。
みんなそれぞれのアニメ観、キャラクター哲学を持っているのだ。

ほどよく脱線を交えつつ、おもむろに「そういえば」なんて言いつつ教科書を捲らせる。遊びの延長線上にあると思い込んでいる生徒は嬉々として教科書を開く。
「こんな詩がある。『わたしが両手を広げても』ーーー」

わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない
わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ
鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい

教室内はシンとしている。まだ頭の上に「?」マークを浮かべている生徒もいれば「ハッ」と何かに気づいた生徒もいるようだった。

「さっきお前らが挙げた沢山のキャラクター。みんなそれぞれに1番のキャラクターがいるよな?ドラえもんもいいよなぁ、プリキュアも可愛い。コナンくんも憧れる。でも、先生はやっぱり悟空が好きなんだよ。それは誰にも変えられない。先生が決めたことなんだ。卓郎がナルトだったり、吉井がクレヨンしんちゃんのひまわりだったり、奈美がヒロアカの、爆轟?だっけ?だったり。それは君らが自分で決めた1番なんだ。”誰か”を”みんなの1番”にする必要は全く無い。先生は胸を張って悟空を好きだと言い続けるし、みんなもそれぞれにそうして欲しい。それは争う理由にならないんだよ。分かるか?」
ここまで言うとクラス内の誰もが理解度の大小はあれど、ある程度は分かってくれたようだった。
「勘違いしちゃいけないのは、人と違うという事に甘えちゃいけないということだ。例えば…今日給食で出た野菜炒めのピーマンを嫌いなのも自分の好みなんだから、『みんな違ってみんないい』でしょ?なんて言っちゃいけない。なんでか分かるか?」
挙手する生徒はいない。
「それはな、お前らがまだ子供だからだ。好き嫌い言うには10年早い」
言い終わると同時に「えええーー」という声が一斉に上がる。それを聞いて笑いながら「先生が言いたいのは、悪いことをして良い言い訳にはならねーよって事です。はい、分かった人!」と言うと、今度はクラスのみんなが挙手してくれた。

「じゃあ最後に、この詩をみんなで一緒に朗読しましょう!はい、せーのっ『私と小鳥と鈴と』ーーーーー」

このクラスに居る34人の生徒がこれから大人になる過程でいつか忘れ、捨て去ってしまうとしても、今は伝わって、心に残るような授業が出来たのではないかと思う。

やはり、朝の読書ルーティンは確実だなぁなんて思いながら仕事を終え、帰路につく。
些細な事かもしれないけれど、確かな充実感を持って一日を終える。
嗚呼、こんな出来事を誰かに話せたら良いのに。そう思いながら早めに訪れた睡魔に敗北した。
明日の朝読書も、良いものになりますように。

午後二十二時二十四分 就寝

 

12/1 金
4時に鳴るアラームを5分前にキャンセルさせる。
よく「朝の4時起きです」なんて言うとビックリされることが多いけど、要は生活のサイクルが一般的な人と比べてスライドしているだけなので、特に問題は無い。
まだ暗い部屋の電気を点ける。その後すぐに石油ストーブに火を入れる。ボッボッボ、と音を立てている間に洗面所へ向かう。夜中に一度起きて済ませたせいか、尿意は感じなかった。
それよりも、朝起きるとまず歯磨きをしたくてしょうがない。昔テレビで「寝起きの口内は大便よりも汚い」という話を聞いてから、そう思うようになった。普段吸っている煙草のせいもあって、とにかく口内を綺麗にしたくてしょうがないのだ。

ゆっくりと時間をかけて歯を磨く。上の奥歯の、ほっぺた側でなく、内側をいつも念入りに磨く。そこが汚れやすいと以前通っていた歯医者で聞いたからだ。
歯磨きをする時はいつもコマーシャルでよく見るようなイメージを抱く。ヘドロのようにこびり付いた汚れを、細い歯ブラシが綺麗に取り除くイメージで。
そうイメージしながら磨くことで、よりいっそう綺麗に磨けている気がするものなのである。

歯磨きを終えると、次に舌磨きをする。ベロ掃除である。
舌にも舌苔(ぜったい)という汚れがある。これが口臭の元になったりするのだ。ゴムべら、あるいはスクレイパー状になった舌磨き専用の器具で舌の汚れを掻き出す。いつも思った以上に汚れが取れる。たった1日でこんなに汚れるのか、と。

身嗜みには煩い。
こんなふうに歯磨きひとつにしたって細かいこだわりがあるし、服装やボディケアにはいくつもの“やるべきこと”がある。
主人のシャツのアイロンがけや革靴の手入れだってそのうちのひとつだ。
もちろん好き好んでやっている。誰に頼まれた訳でもない。私がやりたいからやっているのだ。

いつも空が白み出す頃に家を出る。吐く息がぼうっと白く染まる。朝感じる寒さはどうしてこんなに辛辣に思えるのだろう。こればかりは、慣れない。

歩いて8分ほどの場所にあるのが最寄りのバス停だ。時刻表と、くたびれたベンチがあるだけの至って質素な。
バス待ちをする人間はいない。そりゃそうだ。始発のバスが通るまでまだ1時間ほどある。私が待っているのはバスではなく、同僚の上川さんが運転する乗用車だ。
上川さんは私に非常に良くしてくれる。年齢が近いのもあるし、彼女いわく綺麗好きな所もポイントが高いのだとか。

やがて到着した上川さんの車に乗って、私達は職場へ向かう。少し町外れにある小学校給食センターである。私達はそこで働き、日々、この街の小学生の為に給食を作っているのだ。
給食センターとは言っても、単に料理を作るだけではない。トラックで運ばれてくる材料を個数チェックしたり、時には大きなダンボールを皆で手分けして運ぶ時もある。どこでも同じだ。料理をするには必ず準備が必要になる。

今日の献立は、わかめご飯、肉野菜炒め、筑前煮、そして味噌汁と牛乳であった。
いつも通り、作業を卒なくこなしていく。料理に携わる仕事に就いたことがある人なら分かると思うが、目の前にある材料の数々は、我々からしたらもはや「食べ物」ではない。例えば自動車の部品を作るライン工と同じで、それが自動車になるなんて事は考えない。それはただのパーツに過ぎなくなっていくのだ。
所詮自分たちが食べる訳では無いし、しかも食べるのはまだ味覚が未発達な小学生だ。だからと言った手を抜くことはしないけれど、料理か料理でないというこの感覚を分かってもらえたら嬉しい。
ライン工と違うのは、献立が毎日変わるということ。同じ組み合わせは殆ど無い。それだけでも飽きずに働けることが出来る理由になる。同じようで、だけど毎日違う仕事。そんな職場で働き出してから、今年の春で勤続10年を迎えていた。

私と夫の間には子供がいない。作らなかったのではなく、出来なかった。然るべき機関へ赴けばその理由は明らかになるだろうが、私達はお互いにその理由を深入りしようとしなかった。
どちらかがその理由になってしまう事を恐れていたのだと思う。理由がハッキリしてしまうと、無意識下でも自分を責めたり相手を責めたりしてしまうと思ったのだ。それが怖かった。嫌だった。
私たち夫婦は、ふたりだけで良いと思った。ふたりで完結していいと。
ここに自分たちの子供が出来てしまうと、その感情が崩れそうで怖かったというのもある。それくらい私は夫を愛していたし、夫もそうだと思う。

そんな私が、毎日毎日、顔も知らぬ子供たちの為に料理を作っている。皮肉だな、と思うこともあったけれど、今では気にもとめていない。
子供が授かりものだというのは事実だと思う。当たり前に産まれて育っていくものだと思っていたけれど、違う。彼らは産まれたその時点で世界から祝福されているのだ。子供のいない私が言うのも説得力がないが、子供がいない私だからこそ言えることがある。
子供は、奇跡だ。

上川さんに送られ、夕方前あたりに帰宅する。
私のあとに家を出たであろう夫の気配を感じる。出しっぱなしの食器や脱ぎ捨てられた寝間着。
私はそれらをゆっくりと片付ける。愛と、ほんの少しの憎しみと、惰性を込めて。

夜の10時前に夫が帰宅する。呂律が回っておらず、帰るやいなや玄関にごろんと寝転がってしまった。
投げ出されたスーツの上着から女性ものの香水が香る、それが意味する事を深く考えようとすると右の後頭部がズキンと痛んだ。

色々な事を忘れるように私は今日も眠りにつく。
そして明日も朝4時に鳴るであろうアラームよりもほんの少し前に目を覚ますのだろう。
日常は続く。
既に終わってしまっているような毎日でも、確かに。

22:19 就寝

 

12/1(金)

寝坊。
枕元に置いてあるケータイには着信が鬼のように残っていた。
店長、店長、店長、店長…
ディスプレイに表示されている時刻は11時23分。出勤しなければならない時刻から2時間以上オーバーしている。
まだ完全に覚醒しきれていない頭をむりやり働かせ、鈍く「チッ」と舌打ちをして起き上がる。
寝ていたのは座面が固く座り心地のあまり良くないソファの上だった。
テーブルに置いてある煙草に火をつける。フィルターから通ってくる煙が喉を燻す。睡眠中きっと口を開けて寝ていたのだろう、チクッとする痛みが喉に走った。
紫煙が天井へ立ち上ってゆく。それが吐いた白い息と混ざって、やがて消えていく。
煙草の煙を見るたびに、こんな煙になれたらな、といつも思う。
ゆらゆらと空気に漂って、流されるままに流されて、そして消えることが出来たら。

昨日、美紀に別れを切り出された。
もうすぐで付き合って2年になる彼女だった。
数週間前からメールでのやりとりがぎこちないものになっていた。会おうと言ってもやんわりと断られ、やがてメールの返信も一日に一往復するくらいのもになってしまった。
それが突然昨日の朝、「今日空いてる?」と連絡が来た。もちろん、と返すと「正午に駅前のビッグエコーに来て」と来、それについていくつかの質問を投げかけたが、もう彼女からの返信は無かった。

駅前のビッグエコーは、ふたりでよく通ったカラオケ店である。
たまに飲みに出かけたりすると、酔った勢いでカラオケになだれ込むことがよくあったのだ。お互い、歌を歌うのが好きだった。

店舗前に美紀を見つけ、よう、と声をかけた。美紀はうん、とだけ返事をし店内へと促される。
ふたり、フリータイム、喫煙室…
美紀は店員の問いかけに単語だけで返事をして部屋を決める。部屋は5階建ての3階にある314号室だった。
2メートル四方くらいの狭さの部屋で、ドアを開けた途端喫煙室独特のヤニ臭い匂いが鼻をかすめた。
美紀はリモコンやマイクが入った小さなカゴをテーブルに置き、ソファにすとん、と座った。そして未だ部屋の入口でぼうっとしている僕を見上げる。その目は「あなたも座って」と訴えかけている。

朝に「今日空いてる?」というメールが届いた時点である程度の察しはついていた。
僕は今日、彼女から別れを切り出されるだろう、と。

案の定、僕が促されるまま対面のソファに座るやいなや「私達、もう終わりにしましょう」と切り出された。
その言葉と発音のニュアンスから、もうどうしようもないのだなと悟った。美紀は僕との関係を終わらせたくて仕方がない様子だった。
かろうじて「わかった」とだけ返し、部屋を出る。

そこから、どうやって家に帰ってきたのかは覚えていない。
気付けば酷く酩酊して自宅のソファに突っ伏していた。辺りには空き缶や空き瓶が視界に見えるだけでも十数本転がっているのが分かる。
テーブルの上の電波時計には「2:43」という数字が表示されている。2時…。これは、昼の?深夜の…?
分からないまま再び意識を失うように寝て、冒頭に戻る。

彼女から別れを切り出され、やけ酒を煽って寝坊をし、仕事場の店長から入る着信履歴に辟易とする…。
我ながらクソだな、苦笑する。でもとにかく今は何も考えたくない。今日の事も、これからの事も。何も。

職場(ファミリーレストランである)の後輩、後田からメールが来たのが昼の3時過ぎ。それまでに店長からの着信が8回あった。

『寝坊ですか?w店長ガチギレっすよww先輩やばwww』
それから30分して
『え、いやほんと大丈夫ですか?wこっち終わったら家行きましょうかー?』と届く。
また15分して
『さすがに寝すぎですよね…?店長今度はめっちゃ心配しだしましたよww先輩〜!?』

空が茜色に染まり出し、やがて黒色に塗りつぶされていく。それを部屋の窓からずっと見ていた。
その間、何故か涙が止まらなかった。その涙に理由を与えるのは困難だった。美紀に振られたからではないと言いたい所だが、実際、それが大きな原因なのだろう。

悲しく、切ない気分になるといつももう一人の自分が「悲劇の主人公気取ってんじゃねぇよ」と言ってくる。
その通り。今の自分なんて所詮ただ失恋しただけの男だ。世界中にはもっと辛い思いを四六時中している人がいる。いや世界と言わずとも、この街にだって、きっと。

でも、それでも、どうしようもなく涙が出る日がある。
辛くて辛くて仕方ない時が。
もうこんな思いをしなくていいから死んだ方が楽じゃないかと思う時が。
何をしても楽しさなんてなく、ただただ絶望に包まれてしまう時が。

どうしたらこの気分は晴れるのだろうと繰り返し繰り返し思ったり、
誰にも知られないまま、日常の片隅に消えていく仕事を嬉々として繰り返していたり、
既に終わってしまっているような状況を甘んじて受け入れてしまっていたり。

これは、この人生は、やはり自分の物語なのである。
いくつもの選択肢と可能性を毎秒レベルで選び、捨て、進んでゆく。
それが正しかったのか、間違っていたのかなんてのはいつまでも不明なまま、時は流れてしまう。
勝手に「正解だった」「間違いだった」と決めつけているだけなのだ。

きっとそれぞれにそれぞれの日常があって、毎日を終えてゆく。
昨日に後悔しながら、明日に期待しながら、そして今日に絶望しながら。

それでも、寝て起きると既に新しい一日が始まっていて、世界はまるで決められているかのようにその一日を進めている。
乗り遅れないよう、取り残されないよう、必死で掴む日常を、我々は怖くて手放せないのだ。

夜の8時を過ぎた頃、後田から着信があった。出てすぐに「大丈夫、ただの寝坊だよ」と伝えたのだけど、既にウチの近所まで来ていたそうで(前に職場の仲間数人を集めウチで家飲みをしたことがあったので場所は知っている)、寄って帰ると聞かない。
すぐに到着した後田は「さむい〜〜」と言いながらブーツを脱ぎ、「どや!」とコンビニの袋を突き出す。
中には栄養ドリンクや消化の良い食物、デザートなどがビッシリと入っていた。
「ほんとに、心配したんですからね?てか、ほんとにただの寝坊ですか?」
「お前メールにめっちゃ草生やしてたじゃねーか、楽しんでただろ絶対」
「そんなことないですよ!ほら、食べてください!…てか、お酒飲み過ぎ!!こんなに飲んだんですか!もう!」

痛む頭に後田の声がよく響いた。いつもなら煩わしいその声が、今日は妙に心地よかった。
あれこれと1人で考えている脳内に、他人の考えが、声が入ってくるのも、悪くないかもしれない。

そう思うと、考えるよりも先に身体が動いた。
部屋に散らかる空き缶を拾う後田を背後から抱きしめる。「わ!」と大きな声を出した後田はしばらくワーキャー言っていたが、僕が泣いている事に気付いたら、スっと静かになった。しばらくして、
「絶対…寝坊じゃないと思ったんですよ…先輩、そういう事しないですし…」
そう言って、自分の肩に回る僕の手を握りしめた。彼女の手は冷たかった。

どこの誰かも知らない人の、今その日常が酷く苦しくて息がうまく出来ないようなものだったとしても、いつかそれが緩んで解けますように。そんな「今日」がいつか訪れますように。
そんなこと、どこの誰かも知らない僕が思うのもおかしいけれど。

「泊まります!!」という後田を説得して帰し、また煙草に火をつける。
その紫煙は部屋のライトに照らされて、妙に綺麗な模様に見えた。
未だ胸は痛む。ズキズキと。
でもその痛みは、間違いなく今日を生きている証なのだ。


ねぇ君は今日、どんな1日だった?

(完)

 

Today 

Today

ぼーっとしてる間に今日が終わってくんだ
もっと早起きして出来ることは無いかなぁ

今日は晴れのよう
痛みも、今は無いよ
どうして続いてくの?いつまで終わらないの?

ただ、僕らは与えられた時の中で生きてく
同じ時を過ごしながら
君のことも知らないまま

歌うよ、鳥のように
響けば、きっと。